misato-2’s diary

感想文とか思ったことをつらつら書いてるだけ。メイン→ https://misato-mst.hatenablog.com/ X→ https://twitter.com/mi_s_a_t_o_

『カラフル』森絵都 読書感想文(ネタバレ注意)

 

f:id:misato_mst:20231001153323j:image

確か中学生くらいの時に読んだ本。死ぬほど読みやすくて面白くて感激した覚えがある。

黄色い表紙にシンプルなタイトル、これも記憶に残っていた。

 

本屋さんや図書館で見かけるたびに「あ、カラフルだ!」となにか嬉しくなりつい手に取ってみてまう。コンパクトな文庫本サイズを見つけたので即購入。

 

○自殺

どれくらい理由があれば自殺ってしてもいいんだろう?

と、たまに考える。

 

私は絶対的に自殺NG派だし、みんな生きてくれ!!と心から思うが、自殺した人の心境を考えたり自殺の経緯をニュースなどで見るたびに、どれくらいの理由と動機があれば自殺したことを納得されるのかな、と思ってしまう。

 

繰り返し言うが、自殺と言う行為自体、認めて良いものではないと思う。

しかし、「その程度のことで自殺したの!?」と「自殺したくなるのも分かるよ…辛かったね…」の境界線がどこかにあると思うのだ。

 

自殺に対する外野の納得感みたいなものが。

(そもそも自殺という行為を選択したこと自体、本人の主観で完結している話なのだから、こういう外野の好き勝手な意見は好きではないが。)

 

あとは、自殺した人の職種とか肩書きとか、そういうのでも外野の納得感は変わってくる気がする。サラリーマンが自殺するのと小説家が自殺するのでは、後者の方が何となく納得感が強い気がする。

 

真の場合は、母の不倫や父の本性を知ったこと、初恋相手の売春など、色々なことが重なって自殺した。

この動機に納得するかどうかは人それぞれだろう。

 

自分で望んでもないのに始まってしまったものを、自分で終わらせる人というのはまあいるだろうな、とも思ってしまう。

うっかり画面をタップしてしまったがために再生が始まった動画を止めるのと同じように。

動画を流し続けるとしたら、その動画が思いのほか面白かった、という場合だけだろう。

 

自殺をする人がマイノリティなのは、「人生一度きり」でやり直しが効かないからに他ならないだろう。

普通の広告より「この広告は一度しか流れません!」って広告の方が最後まで視聴される確率が高いのと一緒だ。

 

 

○真

主人公は物語後半で母や兄の気持ちや、父を誤解していたことに気づき、真は早まった、真が知るべき事実だった、と感じるが、こう感じているのが他でもない真の魂自身、というのが良い。

 

家族や周りの人への解像度が上がっていくにつれて魂が真の形を思い出して真になっていくような感じ。

読んでいる私も真になっていく。

 

 

○ひろかの魅力

真の好きな人、ひろかは子どもらしさと色気を両立させている恐ろしい女…

 

シンプルでカラッとした考え方、振り切っている感じが魅力なんだろうな、と思う。

隠しているわけでも恥じているわけでもなく、全てがひろかの素何だな、とわかるところがひろかの魅力。

 

素を出せる人間というのはどんな風でも魅力的に見えてしまう。

私は隠してばかりだから尚更。

ひろかみたいな女になりたいとは思わないけど、ある種逞しくてかっこいいと思う。

 

 

○本編からあとがきに入る瞬間

本編が終わって、後書きに入る時の切なさといったら言葉では表しようのないほどだ。

 

今まで没入していた素敵な世界がフィクションだったのだと知らしめられる、あの瞬間は本当に辛くて、同時にそれまで読んでいた物語がどうしようもないくらいキラキラして見える。

 

一つの作品として存在しているのだな、と改めて知るあの瞬間、私は嫌いじゃない。

ただ、その物語が喜劇でも悲劇でも、この瞬間だけは少し泣きそうになる。