『アルジャーノンに花束を』/ダニエル・キイス 読書感想文
※このブログでは、公用文での記載に合わせ「しょうがいしゃ」の表記は「障害者」としています。
SNSで紹介されていたのを何度か見かけ、気になったので読んでみた。
チャーリイはいつが1番幸せだったんだろう?周りの誰も疑わず過ごしていた手術前だろうか?それともIQが1番高かったとき?自分の過去や両親のことを知りながらも、もう深くは考えられないIQに戻った時?
障害者の社会的位置付けは難しい。誰も悪くないのが1番辛い。
○ローズの苦悩
チャーリイの母親、ローズのことは悪く言えない。
娘を守ろうとしたことも、息子に期待を持つことも母親として素晴らしい事だと思う。
障害を持つ息子を異常者と感じてしまったり期待を捨てられなかったりすることも、ある種自然な感情だと思う。
チャーリイの存在に苦悩したローズのことをつい「被害者」と表現してしまいたくなるが、ローズを被害者と表現したらチャーリイ、つまり障害者の存在を加害者としてしまう。
これは完全な間違い。誰も悪くないから辛い。
周りの誰も悪意を持っていなくても憤りや差別的な感情を持ったり感じたりしてしまうもの。
実家にいた頃、障害について母とよく話したけど、会話の中でも私の中でもいつも明確な答えは出なかった。
○障害者について考える
この本を読みながら自分の障害者に対するイメージとか、障害者と関わった経験とかを思い出していた。
社会に出て企業や作業所に勤める人もいれば施設で一生暮らす人もいる。
施設に行った時も特別支援学校に行った時も、私にはみんな楽しそうに見えた。
特別支援学校では結構長い時間お話ししたり一緒に活動したりできて楽しかった。
IQが低い=純粋無垢ということなのか(悪意とか隠れた意図に気づかないから?)本当にみんな私たちのことを歓迎してくれて好いてくれて嬉しかったし、そういう人達に対してこちらも綺麗な心でに向き合わなきゃ!と思った。
彼らと違って私はその場しのぎの、間に合わせの”純粋無垢”だったかもしれないけど。
自分のことを汚い人間とは思わないけど、彼らを見ていると自分の嫌なところがどうしても目についてしまう。それくらい彼らのことは綺麗に目に映った。
○知的障害と性
この本でもチャーリイの恋愛感情や性的感情が変化していく描写が多く描かれていた。
知的障害者は、恋愛とか性行為とか、どうしてるんだろう?
特別支援学校に行った時に「女子はこの男の子には近づかないで」と言われたあの子は恋愛とかできるんだろうか?(女の子と近づきすぎるとその夜興奮で眠れなくなってしまうらしい)
知的障害者にも当然性欲はあるわけで、恋愛や性行為が適切に、幸せにできればいいな、と心から思うけれど、知的障害者に性欲があることに対し、正直私は恐怖心も抱いている。
あの男の子は周りに先生や保護者や、援助や制御をする人がいて、じゃあそういう人たちがいなくなって良くも悪くも自由に行動できるようになった時、性犯罪が起こってしまう可能性は高いわけで。
もし最悪の自体が起きてしまっても、知的障害者を手放しで責めることはできないと思う。
でも、性的に消費される仕事をしている友人が、イベントでそういう人と対峙した話を聞いて、凄く怖いと思った。
本の中で、チャーリイは自分の性欲や性行為の知識を得ていくけど感情や自分の精神年齢(?)や、過去のチャーリイの呪縛から逃れられずなかなか行為に及ぶことができない。
性行為には何が必要なんだろう?成熟した身体と性知識と、あと何が必要???
“大人になる”ことと、学力やIQは同義ではないけど、じゃあ”大人になる”ってどういうことなんだろう?
IQが180を越えたチャーリイでも十分ではなかをった、”寛容さ”とかはどうやって身につくんだろう?
思ったことをツラツラ書いてたらめちゃくちゃまとまりのない文になっちゃった🥲
ごめんね。
『ヒキコモリ漂流記』/山田ルイ53世 読書感想文
ホテルの読書ラウンジに置いてあった本。
相方のひぐちくんはうさぎ好きな人として認識していたけど、山田ルイ53世さんのことはあまり知らなかったな〜と思って読んでみた🐰
所謂「頭の良いませた子供」だった彼がそのプライドの高さや性格から些細なきっかけ(うんこを漏らした💩)により引きこもり、しばらく社会からドロップアウトすることになる。
人生の節目ともなる今(この感想文を書いた時はちょうど就活中だった)、私にとって心に響く言葉が多かった。
彼のプライドや本音、意地、妬みなど人に見せたくないような恥ずかしい部分も曝け出した内容で、良い意味でも悪い意味でも人間らしい部分が盛りだくさんで心の中でひっそり共感してしまった。
特に、基本的に生き急いでいる私は常に焦っているので、夜、「とりあえず誰も今は頑張っていない、自分と同じように…」と思ってしまうという一節は非常に共感できた。
私も同じ理由で夜が好きだし、コロナ禍が憎い憎いと言いつつも社会が一旦ストップしているようなこの状態を少し心地良くも感じている。
言うまでもなくコロナを恨んでいるし、コロナにキャンパスライフを奪われて本当に悔しいけど、少しホッとしている部分もあった…。
大きな声では言えないが、みんなが思うように頑張れないこの状況に安心している自分がいる。
共感者を見つけて嬉しかった。
『変身』/カフカ 読書感想文
母に勧められて読んだ。
「カフカの変身知らないの!?一回読んどきな〜!?」って。
後書きで、カフカは「変身」を夢だと語ったと書いてあったが、まさに夢みたいな後味。読み終わった今はまるで夢から覚めてすぐ見た夢について思い返してるみたい。
まず、主人公が虫だという点では、読者の想像力に託される部分が多く輪郭がはっきりとしない。そして、虫に変身した理由やその他の説明会が少ないこと。夢の中で意味不明な設定があったり当然のように不思議なことが起きるのと似ている。
私はこの物語から、人の意見や感情の不確かさのようなものを感じた。
1つの事象に対し、1人の人間が持つ感想や意見は一つではなく、その人の中で1番大きい意見がその人の感想・意見として決定されると考えている。
『変身』ではその複数ある意見が対象の変化によって大きさを変え、一番大きい意見、すなわちその人の主張がコロコロ変化していく様が表されているのではないか。
例えば、妹のグレーゴルに対する感情は、兄としてのグレーゴルへの同情、虫としてのグレーゴルへの嫌悪、自分の生活をめちゃくちゃにした憎悪、死んで悲しい、死んでホッとした、など色々な角度からの感情が同時に存在している。
他にも3人の紳士やでっかい女中に対しても、読んでいく中で「この人は味方」「こいつは悪役」などと決定的に考えることはできず、常にふわふわとした印象を抱いた。
私のこの解釈は、終始グレーゴルをグレーゴルとして捉えていることによって成り立つものだと思う(ほとんど不変の一つの対象に対する人間の様々な感情だから)。
しかしこの物語の題名は変身であり、グレーゴルの変化が主題だ。となるとこの解釈では辻褄が合わないのか…?とも思ったり。。
逆にこの「変身」というのはグレーゴルが虫になったことではなく周りの人間の心情の変化のことを指しているのでは…?とも思う。
なぜなら物語の最初から最後までグレーゴルはグレーゴルだった。虫になっても変わらず働きに出ようとし、死ぬ直前まで家族のことを考えて動いていた。
振り回され疲弊した家族たちと比べ、グレーゴルの変化の無さはまさに夢を見ている本人、つまり不変の存在ではないのか?
「変身」は、カフカの前作「判決」との関連で読むのが良いと後書きに書かれていたので、「判決」も読んでみたい!