misato-2’s diary

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『変身』/カフカ 読書感想文

『変身』/カフカ



母に勧められて読んだ。

カフカの変身知らないの!?一回読んどきな〜!?」って。

後書きで、カフカは「変身」を夢だと語ったと書いてあったが、まさに夢みたいな後味。読み終わった今はまるで夢から覚めてすぐ見た夢について思い返してるみたい。

 

まず、主人公が虫だという点では、読者の想像力に託される部分が多く輪郭がはっきりとしない。そして、虫に変身した理由やその他の説明会が少ないこと。夢の中で意味不明な設定があったり当然のように不思議なことが起きるのと似ている。

 

私はこの物語から、人の意見や感情の不確かさのようなものを感じた。

1つの事象に対し、1人の人間が持つ感想や意見は一つではなく、その人の中で1番大きい意見がその人の感想・意見として決定されると考えている。

 

『変身』ではその複数ある意見が対象の変化によって大きさを変え、一番大きい意見、すなわちその人の主張がコロコロ変化していく様が表されているのではないか

 

例えば、妹のグレーゴルに対する感情は、兄としてのグレーゴルへの同情、虫としてのグレーゴルへの嫌悪、自分の生活をめちゃくちゃにした憎悪、死んで悲しい、死んでホッとした、など色々な角度からの感情が同時に存在している。

 

他にも3人の紳士やでっかい女中に対しても、読んでいく中で「この人は味方」「こいつは悪役」などと決定的に考えることはできず、常にふわふわとした印象を抱いた。

 

私のこの解釈は、終始グレーゴルをグレーゴルとして捉えていることによって成り立つものだと思う(ほとんど不変の一つの対象に対する人間の様々な感情だから)。

 

しかしこの物語の題名は変身であり、グレーゴルの変化が主題だ。となるとこの解釈では辻褄が合わないのか…?とも思ったり。。

 

逆にこの「変身」というのはグレーゴルが虫になったことではなく周りの人間の心情の変化のことを指しているのでは…?とも思う。

 

なぜなら物語の最初から最後までグレーゴルはグレーゴルだった。虫になっても変わらず働きに出ようとし、死ぬ直前まで家族のことを考えて動いていた。

振り回され疲弊した家族たちと比べ、グレーゴルの変化の無さはまさに夢を見ている本人、つまり不変の存在ではないのか?

 

「変身」は、カフカの前作「判決」との関連で読むのが良いと後書きに書かれていたので、「判決」も読んでみたい!